histories

散発的な自己紹介

永遠の模型少年

高度成長期、男の子の玩具の主役は模型機関車でした。5歳の時、近所の男ばかりの3兄弟の家で線路を沢山引き回して遊ばせてもらったのが強烈な幼児体験として残っています。以来、60年以上、途絶えることのない鉄道模型フリークです。体験を指先で紡ぐミニチュアとして再現し、手元に置きたい夢は、今でもどんどん膨らんでいます。

小学校高学年からは親のカメラを借りて、模型作りの参考にと鉄道写真を撮りに行き、中学高校時代は北海道や九州まで行脚。大学時代はあらゆるものが被写体となって、歳を追うごとに個々の車両視点から自然の中の構図や空気感にこだわるようになっていきました。ですから鉄道模型といっても、車両はばかりでなく、建物や草木の表現に凝って、ここ数年は線路際の雑草表現に傾倒しています。今も同好者イベントに毎年新作発表してます。

  • 重い中盤カメラで世の中を切り取っていた頃
  • 細かな繊維を静電気で立たせて線路の雑草を表現

映像との戯れ

子供のころは、漫画雑誌の相次ぐ創刊やテレビアニメの開始などにも影響されて、模型作りと並行して、小学校の壁新聞にマンガを描きはじめ、中高校では同人誌に所属しました。時間内に書き上げる線描画とコマ割り、何より重要なストーリー、回覧同人誌とそれに付属する容赦ない批評ノートで大いに盛り上がりました。そのなかで、写真と映画は最大の教科書と認識してはまっていきました。

写真は人物、風景、もちろん鉄道、接写など、多岐にわたって撮影し、夜中の押入れを暗室に見立て、現像、引き伸ばしなどしていました。

映画については、写真の事を記録媒体としてより、絵筆の延長のように感じていた生意気盛りに、黒澤明の隠し砦の三悪人を、また鳴り物入りで公開されたスタンリーキューブリックの2001年宇宙の旅を見て、大いに感化されました。もちろん彼らの全作品を網羅し、リアリティを追求した絵作りと強烈な父性の黒澤と、客観的で浮遊した視点とクールな映像陶酔のキューブリックが、対象的作風でしたが、自分の中では両極になり、今でも両者の絵作りは本質的な美を認識するヒントを私に与え続けてくれています。

  • 今も残る肉筆原稿をまとめた作品集
  • 絵や写真に時を加えた感動は過去から未来に横たわる

感性の形成外科医

母が医師だった事もあって医学部にいきました。一人っ子でしたので、当時は医者にでも、医者にしか、の「でもしか医者」でした。取り敢えず進級して、サブカルチャーにどっぷり浸かり、それなりに楽しいものの、未来の方向性がぼんやりしていた学生時代でした。多くの講義のなかで、とにかく楽しそうな形成外科医達との出会いが少しずつ未来への舵取りをしてくれたようでした。教授の美術的な話、先天奇形の見事な術後、繊細な血管吻合、幾何学の極地のような皮弁デザインなどなど、あげく、頭蓋顔面外科の先生は自分の顔以外はどうにでもなると豪語して教室が湧いていました。

形成外科に入門して、厳しい上下関係の研修医時代、唯一、先輩と同格のトレーニングが医局での絵画教室でした。画家を講師とした招聘し、レンブラント法でのデッサンから始まり、本格的な油彩までを1年かけてレッスンを受けます。絵が上手くなるより、物を見る目を養うという理念で行われ、自称映像作家気どりの駆け出し形成外科医は目を輝かせたのでした。

  • パレットと筆を持った形成外科医
  • サブカル医学生

サンクチュアリィ

大学では精神科、心理学、文化人類学の先生と診療しました。術前術後のインタビューを通して、患者さんの満足感も客観的に評価されます。形成外科医はメスを持った精神科医で、メスで心を癒すのが究極のゴールというのを実際に体感してました。

形成外科の認知度が低い頃、出向先の新しい赴任地に形成外科を立ち上げてきた時、院内はもちろん、地元医師会や、市民に向けてのアピールはまるで「心を癒す形成外科医」を広める宣教師のように思っていました。後に大聖堂を構える聖路加国際病院に赴任した時、形成外科開設、初代部長で、おこがましい宣教師気分は流石に吹っ飛びましたが、アピールの甲斐あって、暖かく迎え入れてくれました。

聖路加国際病院は教会の中に病院があると認識され、東京大空襲でもピンポイントに爆撃から外されています。まるで中世ヨーロッパの教会がサンクチュアリーとして機能していたことを思わせます。病院としても学閥が無くまさしくサンクチュアリーでしたので、そこから踏み出すからには、ぬくぬくとした殻を脱いで、また新たな気分で踏み出す気合いと勇気が必要でした。

この度、大学時代の後輩で、同門の出世頭でもある松倉先生の強力な後押しのおかげで、新たな展開を代官山の地で始める事になりました。今度は患者さんのための新たなサンクチュアリィを作ろうとしています。

  • 聖路加国際病院大聖堂
  • 定年感謝礼拝での謝辞